仏教とは?
インドの釈迦族の王子として、今から約2500年ほど前にお生まれになったお釈迦様は、日常の生活において何一つ事欠かないにもかかわらず多くのお悩みをおもちでした。
特に「老いること」「病気になること」「死ぬこと」はすべての人に起こることであり、そして、いつかは自らの身に必ず起こることである、とう事実を知るに及んで、その煩悶は益々深まりました。
ついに出家なされ、6年間の修行の後、菩提樹の下で悟りを得られたのです。
その悟りの内容とは、難解な用語を使えば「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」「四諦・八正道」「空」「無」などとなります。しかし、これらの教えの根幹は、
生きている我々がいかに幸せに生きていくか
に尽きるのです。2500年前、お釈迦様がご存命であった当時、ことさらに難解な言葉で教えを説くことはありませんでした。その人その人の理解力に応じて、いろいろに解き分けられたのです。
お釈迦様は、私のお話の通りに実生活において生きていけば、炎に焼かれるようなつらい生活から、心安らかな平安な生活を送ることが出来ますよ、とやさしく懇切丁寧にお説きになられたのです。
自分の内面(心)を変えることによる、自分による救済
これこそがお釈迦様が説かれた仏教の根本なのです。
仏典を読み、自らの行いを考え反省し、自らの心を変え、大いなるものを感じながら、幸せな人生を送れるようにすることこそが、仏教の基本なのです。
現代においては、お釈迦様のお説きになられたお話は「お経」と言う形で残されております。「お経」というと難しいものの代名詞のようですが、決してそのようなことはありません。
一文字一文字ゆっくり読んでいけば、そこには素晴らしい教えが広がっているのです。
膨大な数のお経の中で最高とされているのが『妙法蓮華経』です。珠玉の教えがたくさん記されており、まさに最高経典にふさわしい内容です。
その内容を取り入れながら、初心者に理解しやすく編纂された本があります。
我々が生きていく上で知っとかねばならないこと、また、知っておくと幸せな人生が送れる智慧(仏智)がわかりやすく、たいへん巧みに編纂されているのが、『仏教聖典』(仏教伝道協会発行)という本です。ですから、当山の仏教勉強会「信行会」(毎月第一日曜日 午後1時から)では、宗旨宗派にこだわらず、本当に仏教を学びたい方のために、この『仏教聖典』をテキストに用いております。お釈迦様の教えに基づき、自らの行いや言動を反省し、幸せな人生を送るための道を模索しているのです。
日本国内には、本当の仏教を説いているお寺や団体があるかと思います。実相寺もその内の一つかもしれません。しかし、わかりやすさ、丁寧さは随一であろうと自負しております。仏教に少しでも興味のある方、また、一人で勉強したけれど、どうもその本質がつかめないと言う方、は是非お尋ね下さい。
仏教の喩え話を読んでみても、単なる荒唐無稽な作り話としか思えない方も、どうぞ一度お尋ね下さい。私もかつてはそうでした。しかし、ある時を境に、その寓話が感動的な法話として受けいられるようになったのです。
心よりお待ちしております。
伝えられたその地域の民族性・風土・気候・習慣などにより様々に変容しながら、伝播して行ったのです。それぞれの環境に合ったかたちで受容されなければ、現在、キリスト教・イスラム経と並ぶ世界三大宗教といわれる規模まで発展することはなかったことでしょう。
日本には・シルクロード・中国・朝鮮などをを通過しながら、538年に伝わったとされております。
日本にはもともと自らのご先祖様を敬うという、素晴らしい習慣がありました。
「自分が存在するのは父母がいらっしゃたからだ。祖父母・曽祖父母・・・がいらっしゃたから、今の自分の存在があるのだ。これらの方々に感謝を込めて、恩返しをすることは人としての道である。」
という、まことに優しい民族性をもった日本にあっては、仏教は、ご先祖様をおまつりする法要(追善供養)を行うという大きな役割をになうことになったのです。
形はそれぞれ異なりますが、中国や韓国でも、ご先祖様の供養はとても大切なこととされております。
お釈迦様は 、 追善供養の大切さをある説話のなかで語っております。
ある国王が隣国を攻め滅ぼそうとしました。
その際、お釈迦様にその国王が尋ねたのです。
「隣国を攻めようと思いますが、どう致しましょう?」
すると、お釈迦様は次のようにお答えになりました。
「その国がご先祖様を大切にしているのなら攻めてはならない」
それを聞いた国王は、攻め込もうとしていたその隣国が、篤くご先祖様を敬う国であることを知り、攻めこむのをやめたそうです。
お釈迦様は、ご先祖様をとても、大切になさりました。
「願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、 我らと衆生と、みなともに仏道を成ぜんことを」
「仏道こそ父母の後世をたすくれば、聖賢の名はあるべけれ」
仏教は父母の来世での成仏の手助けができる教えである、ということです。
また、『十王讃歎抄』の中で、
「追善をなし、逆謗(ぎゃくぼう)救助の妙法を唱えかければ成仏するなり」
追善供養を行い、悪人でも助けることの出来る妙法蓮華経を唱えてあげれば、その人は成仏出来るのです、と明言なさっておいでです。
日蓮聖人も追善供養を大切になさったのです。
追善供養をしたという、善行はご先祖様をお助けするだけではなく、まわり回って追善供養を行ったその本人の善行となり、その本人の幸せの種となる、という意味です。
また、「当病平癒」も心から希求されていた願いです。それは、当時の薬師如来信仰が全盛をきわめたことからもわかると思います。
仏教は日本に入ってきた当初から、すでに現世でのご利益が期待されていたのです。
お釈迦様は現世でのご利益に関して『妙法蓮華経』の中で、次のようなたとえを使ってお話しております。
困窮している子供を救い、なんとか自分の下で幸せに過ごさせてあげようとして、「倍して汝に値を与えん」と、人をつかってその子供をさとさせるのです。
今までの仕事の2倍の給料をあげるから、私の下で働いてみなさい、とやさしくお誘いするお話です。「長者窮児の喩え」と言われるお話です。
この部分は仏の教えへの縁作りには、ある程度の現世での利益をお釈迦様はみとめていた、と一般的に広く解釈されている部分です。
それでは、次に日蓮聖人のご遺文を見てみましょう。
『祈祷抄』の中に、次のような言葉があります。
「大地はささばはずるるとも、虚空をつなぐ者ありとも、潮の満ち干ぬことはありとも、日は西よりいずるとも、法華経の行者の祈りのかなわぬことあるべからず。」
「南無妙法蓮華経と申さば、必ず守護したもうべし」
つまり、法華経による祈りは叶うのである、と高らかに宣言なされているのです。
『持妙法華問答抄』の中では、
「七難即滅・七福即生と祈らんにも、 この御経(法華経)第一なり」
と現世での利益が生じることは当然のこと、とされております。
それでは、実際はどうなのでしょうか。お釈迦様や日蓮聖人のお言葉の通り、現世でご利益を受けることが本当にあるのでしょうか?
実相寺においては、祈祷本尊である「植髪鬼子母神」様のお力、そしてお題目のお力により、多くの方々が現世でのご利益の享受なさっていると断言できます。
まことに喜ばしいことです。
(どのようなご利益が実際に起こっているのかについては、感謝の声をご覧下さい)
ところで、ここで、大切なことをお話しなければなりません。
現世でのご利益とは、幸せに生きる為の智慧を説く
仏様の教えの入り口でしかない
現世利益により、仏様や神様の存在を確信していただき、その大いなるものに生かされている自分を認識し、心豊かな平安な人生を送っていただくことが、お釈迦様や日蓮上人がお考えになっていたことなのです。
どうぞ、お気軽にご相談下さい。心よりお待ちしております。
このことに関してお釈迦様のご法話や説話、日蓮聖人のご遺文や
お手紙を参考にしながら、お話したいと思います。