感謝の声
これまでにご相談にいらっしゃた皆様の声
31歳で結婚したたため、早いうちに赤ちゃんを産みたいと思っておりました。
しかし、1年たっても、2年たっても、一向に授からないのです。不妊治療に定評のある病院に行って検査を受けても、主人も私も正常だということです。
どうしたものか、と悩んでいたところ、赤ちゃんを産んだばかりの友人が実相寺さんを紹介してくれました。
「赤ちゃんはあなた個人の持ち物ではありません。社会の宝物なのです。社会に貢献する立派な人間に育てますので、どうかお授け下さい、とお祈り下さい」
と教えてくださいました。
子宝の御祈祷・御供養をしていただき、月参りも行い、自宅では毎日、ご祈願を行いました。
すると、5ヶ月目に待望の赤ちゃんが授かったのです。こんなに早く願いがかなうとは思いませんでした。今は2人目がおなかに入っております。この2人目の名前も、実相寺さんに付けていただこうと思っております。
どうもありがとうございました。
さいたま市 進藤さん
私の孫はひどい喘息をもっていました。雨の日は特にひどく、救急車をよんで緊 急入院したことも何回もありました。孫を見ていると、あまりに痛ましく、また無事 に育つのだろうか、と心配で心配でたまりませんでした。
菩提寺である実相寺さんの機関紙『実相』に、喘息が良くなったことが書かれて いるのを読み、ワラをもすがる思いで御祈祷をお願いしたのです。
「すべての人の喘息が完治するわけではありません。その人の業の深さ、信心の多少によるようです。懸命に御祈祷致しますので、お孫さんとご一緒にお祈り下さい。」とご指導いただき、御祈祷を受けました。
御祈祷を受けてから4日めに雨が降りました。いつもなら発作が起きるのですが、軽いせきばらいのようなもので済みました。薬も飲まず、このような状態でいられることは生まれて初めてことだったと思います。その時は私と嫁と孫とで、手をと りあって「良かった、良かった」とよろこんだものです。
いままでしっくりしていなかった家庭も、孫の健康な笑顔と共に、家族だんらんの ある、暖かい家庭へと変わっていくことができました。本当にありがたいことと、 感謝しております。
私は十一年間、主人の看病にあたってまいりました。その間に友人との関係も薄くなり、親戚とは疎遠になっていきました。後半の5年は痴呆も加わり、毎日毎日が闘いのような看病でした。若い頃は私をとても大切にしてくれた、優しい暖かみのある主人でした。その思い出があったから、十一年間がんばれたのかもしれません。
別れは突然やってまいりました。少し目を離していた間に食べ物を気管につまらせてしまったのです。
あまりにも突然の別れ。あの時自分がもう少し手を出してあげればよかったのに、という悔恨。広い社会の中で友人・知人・親戚がいないという孤独感。私は生きることに意義を見出せなくなってしまったのです。マンションの屋上の手すりをつかみ、ここから飛び降りれば自殺ができる、と何度も下見に行ったものです。
そんな心の状態で、あるパンフレットを見て実相寺さんの活動を知ったのです。
御祈祷だけではなく、法話の会や青少年の育成にも尽力しているお寺だということで、もしやここなら何かがあるかも知れないと思い、お伺い致しました。
副住職さんはやさしく懇切丁寧にお話ししてくれました。ひとつひとつのお話しが心に染み渡っていくような感じでした。その日から、私の中で何かがふっ切れたのだと思います。
妻と私の間にスキマ風が吹き出したのは2人目の子供が生まれたころからでした。子育てに懸命な妻。仕事で疲れきって帰ってくる私。互いに目を合わせても、 ニコリともせず、同じ部屋にいることじたいも、息苦しさをおぼえるようになっていました。日に日にミゾは広がって行きました。
これではいけない。子供達のためにも、また我々夫婦のためにも、互いに協力して幸せな家庭をつくらなければいけない、と考え、その思いを妻に伝えました。すると、妻は一言「もうダメかもしれない」というのです。
離婚について、父に話してみたところ、「決めるのはお前達だから多くは言わない。
ただ、決める前に実相寺さんに相談してみたらどうだ。」と言ってくれたのです。
正直言って、半信半疑でした。しかし、子供の頃、境内で遊んだこともあったので、うかがってみようと思ったのです。九識という特殊な方法で、我々夫婦のことを色々と調べてくれました。
「奥さんは子育てと慣れない環境によって、ノイローゼ気味になっています。しかし、あなたのことは内心ではいとおしく思っているようです。少し難しいかもしれませんが、ご祈願してみれば奥さんはこちらを向いてくれるようになるかもしれません。」と
いうことでした。
御祈祷と御供養をしていただき、毎月のお守りもいただき、毎日自宅でご祈願も致しました。すると、一ヶ月ほどしてから、徐々に妻の笑顔が見られるようになったのです。
私の息子は中学2年生になってから、人間関係に悩んでいたようでした。母として、解決をはかろうとしてはいたのですが、5月の連休明けから、ついに不登校になってしまいました。児童相談所に行き相談してみたところ、係りの方はとても親身になって対応してくれました。
この方の言う方針なら息子も学校に行くようになるだろうと思い、私も息子と一緒に努力してみましたが、一向に改善されませんでした。
私の家は実相寺さんの近くで、時々郵便ポストに『実相』が投函されておりました。
そこで読んだ奇蹟的なお話を思いだし、ワラをもすがる思いで、実相寺さんのご祈祷を受けることにしたのです。息子には言わず私だけで受けました。
川口市 佐々木さん
私の家では新車を購入すると、その日のうちに実相寺さんに行ってご祈祷をしていただくことにしております。
ご祈祷をしていただいてから、三ヶ月ほどが過ぎた頃でした。
鉄パイプのような鋼材を山のように積んだ四トントラックのすぐ後ろを運転しておりました。そのトラックはぐずぐず走ったかと思うと、急にスピードが速くなったり、急停止したり、左右へフラフラしたりしておりました。居眠り運転でもしているのでしょうか、嫌な車の後ろについちゃったなァ、と思っていると、今度は荷台の鋼材が以前よりも揺れているようです。急発進急停車、左右へフラフラしながらの運転ですから、鋼材を留めていたワイヤーが緩んだのか切れてしまったのか、荷台で鉄パイプがはねたりしているのです。
これは危ない。少し車間をあけようとブレーキを踏もうとした瞬間でした。突然そのトラックは急停車をしたのです。そのとたん、数十本の鉄パイプが荷台からあふれ出てきて、私の運転するフロントガラスめがけて迫ってきたのでした。
「あっ」という間のできごとでした。「死」を予感しました。どう言うわけか実相寺さんでの車のご祈祷のシーンが頭の中で再現されておりました。「ダダダダーン!」ものすごい音でした。鉄パイプがフロントガラスをつき破り、私に突き刺さり、もう「終わり」のはずでした。
しかし、大きな音は聞こえたのですが、私に感じるはずの衝撃がありません。
ハンドルにうつ伏せになり、急ブレーキをかけていた私は恐る恐る顔をあげてみました。どうやら私は生きていたようです。痛みも無いようなので無事なようです。「ああ、よかった」と思うと同時に体中の力が抜けてしまいました。腰が抜ける、という状態でしょうか。
数分たち、周囲の方々が駆け寄ってきてくれました。救急車をよんでくれた方もおりました。
少し落ち着いてきて、外の情景を見て驚きました。なんと私を襲ったはずの鉄パイプは、私の車の右と左とにきれいに分かれて転がっていたのです。トラックの荷台には道路に落ちかかっている鉄パイプもありましたが、その鉄パイプもどういうわけか右と左とに分かれて、私の車にぶつからないように落ちかかっていたのです。
私はその時、確信致しました。「やはり、神仏の加護はあるのだな」と。
死を感じた瞬間、私が見たご祈祷のシーンは、まぎれも無くご守護の証(あかし)だったのでしょう。
草加市 風間 咲子さん
1月4日、お年始まわりの為、親戚の家に行こうと自転車をこいでいる時のことでした。交差点にさしかかり右折しようとしたところ、よろめいたひょうしに縁石にのりあげてしまい、右肩から右半身を地面にガツンと撃ちつけてしまったのです。
心臓と連動するズキズキした痛み、打撲の痛み、腫(は)れ上がってくる痛み。あらゆる痛みが右肩から右半身そして右足のスネの方まで、走っています。通りかかった方におこしてもらいすぐに近所の知人の家へ、文字とおり「這(は)う這(は)うの体(てい)」でたどり着いたのでした。
尋常ではない様子を見た知人は、すぐさま草加市立病院へ運んでくれたのです。
そして、そのまま緊急入院となりました。レントゲン撮影などの精密検査の結果、脳波には異常は無かったのですが、右鎖骨の骨折と右足ひざ下の骨にヒビが入っている、という診断でした。内臓や脳には異常が無かったのは不幸中の幸いでしたが、しかし、右半身は腫れ上がり激痛が走っております。医師と家族も交えた話し合いのすえ、1週間後の1月11日に鎖骨付近に7本の金属を入れる手術を行うことになりました。この歳になってそんな大きな手術を受けることになろうとは思ってもみませんでした。新年早々、家族に迷惑をかけて申し訳ないことをしてしまったと思うと同時に、自らの愚かさも恨んだものです。
麻酔をかけ、右肩の部分を切開し、7本もの(!)金属をうめ込む大手術が終わりました。手術終了後、約1時間くらいで意識が戻りました。麻酔のせいか、眠ってしまっていたのです。
しかし、意識が戻ってみると、大変な状況になっていたのです。なんと、体全体が動かなくなってしまっていたのです。動かそうとすると、全身に痛みが走るのです。直立不動ならぬ、直寝不動です。目玉を右へ左へと動かすこと位しかできないのです。
「この手術は失敗だったのかしら?」
「こんなことだったら、右半身の痛みだけだった手術前の方がよかった」
「手術など受けなければよかった」
後悔の念がフツフツとわいてまいりました。
家族が医師に手術についてたずねてみると、手術は成功であった、ということでした。しかし、寝たままで、微動だにできないのです。
77才で自転車を乗りまわしたり、水泳に通っていたほど、活動的な私でした。その私がみじめなことに、微動だにできないのです。
「ああ、このまま寝たきりの老人としんでいくのかしら?」
「なんと、みじめな最期だろう」
頭の中はそんな思いにかられていました。
2日、3日、4日たっても全く動きません。5日、6日、とむなしく時は過ぎていきます。
ついに、手術後7日目も過ぎようとしていました。「私もこれで終わりかな」と言う思いが脳裏をよぎりました。しかし、また同時に「なにくそ、負けてなるものか」と言う思いも心のそこにはあったのです。
そしてその時です。
「そうだ、お題目をお唱えしよう。お困りのときはお題目をお唱えしなさいと、若上人が言っていた。なにか変化が起こるかもしれない」。というヒラメキが頭の中をよぎりました。口はほとんど動きませんので、心の中で唱えました。
「南無妙法蓮華経」
「南無妙法蓮華経」
「南無妙法蓮華経」・・・・・・・・
すると、どうでしょう。実相寺の若上人の後姿が私の脳裏にあらわれたのです。黒の衣に輪袈裟(わげさ)をつけた、棚行をしている時のような後姿が見えたのです。そして「あっ! 若上人の後姿だ!」と思った瞬間、まさにその時、今まで微動だにしなかった首が右へ左へと少し、ほんの少し動くようになったのです。
同時に、今まであれほど痛かった首筋の痛みが徐々に薄らいでいくではありませんか。
30分ほどたったでしょうか、今度は肩も少し動かせるようになりました。体全体をおおっていた痛みがほんの少し和らいだのです。この時の喜びはたとえようもないものでした。ただただ、お題目はありがたい、と言う思いでいっぱいでした。
実際に涙が出てきたほどありがたかったのです。
次の日になると、体の上体が動かせるようになり、3日目には寝返りが自分でできるようになるまで回復したのでした。そして、5日目には自分でトイレに行けるようになれたのです。それから、リハビリを始め、2月28日、めでたく退院することができたのです。
私は、お題目を契機として、動けるようになったのです。回復へと向かった数日は、今から考えても、本当に不思議な日々でした。こんな奇蹟的なことがまさか自分に起こるとは思いもしませんでした。
さすがに、自転車は家族に止められ、乗らないようにしておりますが、今ではプールへ毎週行っております。微動だにできなかった一週間を思い出すたびに、「ああ、自分は生きているんだな」という感謝の思いでいっぱいです。私もあと何年生きられるかわかりませんが、動くことができるようになった感謝の念を思い起こしつつ、毎日毎日、お題目を唱えつづけて行きたいと思います。
お題目は本当にありがたいものです。是非、皆さんも、お唱え下さい。私のような者にも、ご功徳があったのです。皆さんにも何らかのご功徳が起こることと思います。
川口市 福田 敏子さん
このたびは、不思議な体験をいたしました。
考えてみれば、すべて私が悪いのです。
その日は、50CCのバイクに乗っておりました。私の方の車線は少し渋滞しており、自動車はゆくっりゆっくり進んでおりました。その左側を私は走っていたのです。いつものところで、右折しようとして、方向機を点滅させました。すると、親切なことに、私の右斜め後ろを進んでいた自動車が止まってくれて、右折しやすいように前の自動車との車間をとってくれたのです。
「急いで、右折しなくては」と思い、勢いよく出たところ、なんと、対向車が物凄い勢いで私に向かって突進して来ております。
「ああ、もうだめだ!」と思いました。
そして私に迫ってくる自動車の急ブレーキの音。そして「ドス~ン」という自動車とバイクがぶつかった音。
「ああ。もう終わりだ」
と思ったのですが、なんと、私はバイクにまたがったまま立っていたのです。ぶつかった自動車は、と見れば左斜め前の角がぐしゃぐしゃに壊れ、左のライトも破損しておりました。
「あれ?」と思い、わがバイクを見れば後輪のあたりを少しこすられた程度の傷しかありません。あんなに大きな衝撃音がしたのにどうしたのかしら?
当然、体に傷もありませんでいた。通りかかりの人たちが寄ってきてくれました。
「救急車よんであげましょうか?」とお声をかけてくれましたが、ほんとになんとも無いので、「大丈夫のようです、ありがとうございます。」とお答えいたしました。ぶつかった車の運転手さんが慌てて出てきて、「お体は大丈夫ですか?」と聞いてくれました。「ええ、大丈夫です。」 相手はほっとしておりました。
警察を呼び事故証明をもらいました。警察の方は「こんなに自動車の左角がめちゃめちゃなのだから、普通なら、バイクの方ももっと被害があるはずなのですが」と不思議がっておりました。
私の体に全く被害がなかったこと。そしてバイクもほとんど傷らしい傷がつかなかったこと。これは毎月交換させていただいているお守り「倶生霊神符」のおかげだとしか思えません。ありがたくて、ありがたくて、バイクにまたがったまま、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、、」と感謝のお題目を自然と唱えていたのを、今でも鮮明に覚えております。これからも、暖かな雰囲気の実相寺さんで信仰に励み、功徳を積んでまいりたいと思います。
実相寺さんのことは、一年前にこのホームページで知りました。歴史のあるお寺 あり、ご祈祷などで多くの霊験があるお寺であり、子供の教育に熱心なお寺であると思って、好感をもっておりました。
そんな思いから、仕事などで近くにいく時はお参りするようにしておりました。観光寺院と言うほどのこともありませんが、境内も綺麗になさっておられすがすがしく、仕事の憂さ晴らしなどでも、立ち寄ったこともありました。
そんな話を家内に話したところ、それなら、私も行きたいということになりました。
うちの家内は目が弱く、白内障のような感じで、薄ぼんやりとしか見えず、又、このごろは黒い点が画面にいくつも見えるようになっておりました。近々、眼科に行き本格的に直さなくてはいけないね、と夫婦で話しておりました。
実相寺さんに到着し、「ここだよ」、と言って本堂に入ってお参りさせていただきました。そのときは、別段普段とは変らないお参りでした。
不思議なことは、帰りの自家用車の中で起きました。
普段なら、薄ぼんやりとしか見えないのですが、あれよあれよと言う間に、はっきりと見えるようになっていったのです。うす白い幕のようなものがはれたかな、と思っていると、今度は黒い点のようなものが、ひとつ、又ひとつとなくなっていくのです。そして自宅に帰るまでの約40分くらいで、今までの不自由がうそのように綺麗に見えるようになったのです。
さらに次の日、朝起きるとまた不思議なことが起こったそうです。マスカラなどは全くしていないのに、まつげがピンとお人形のように広がっているのです。目も、昨日以来同様によく見えます。
このようなことがあり、以来、家庭ではお題目をあげて、ご守護の素晴らしさに感謝しております。又、倶生霊神符というお守りも毎月交換しご守護を祈念しております。
まだまだ家庭的にも仕事的にも、いろいろな問題を抱えておりますが、「何か、大きなものにまもられているなァ」「どうにかなりそうだなァ」という実感がここのところで持てるようになり、精神的にとても楽になれました。
これからも、ご相談に乗っていただくこともあるかと思いますが、何卒、よろしくお願いいたします。