感謝の声
これまでにご相談にいらっしゃた皆様の声
お題目のおかげで体が動くようになりました |
草加市 風間 咲子さん
1月4日、お年始まわりの為、親戚の家に行こうと自転車をこいでいる時のことでした。交差点にさしかかり右折しようとしたところ、よろめいたひょうしに縁石にのりあげてしまい、右肩から右半身を地面にガツンと撃ちつけてしまったのです。
心臓と連動するズキズキした痛み、打撲の痛み、腫(は)れ上がってくる痛み。あらゆる痛みが右肩から右半身そして右足のスネの方まで、走っています。通りかかった方におこしてもらいすぐに近所の知人の家へ、文字とおり「這(は)う這(は)うの体(てい)」でたどり着いたのでした。
尋常ではない様子を見た知人は、すぐさま草加市立病院へ運んでくれたのです。
そして、そのまま緊急入院となりました。レントゲン撮影などの精密検査の結果、脳波には異常は無かったのですが、右鎖骨の骨折と右足ひざ下の骨にヒビが入っている、という診断でした。内臓や脳には異常が無かったのは不幸中の幸いでしたが、しかし、右半身は腫れ上がり激痛が走っております。医師と家族も交えた話し合いのすえ、1週間後の1月11日に鎖骨付近に7本の金属を入れる手術を行うことになりました。この歳になってそんな大きな手術を受けることになろうとは思ってもみませんでした。新年早々、家族に迷惑をかけて申し訳ないことをしてしまったと思うと同時に、自らの愚かさも恨んだものです。
麻酔をかけ、右肩の部分を切開し、7本もの(!)金属をうめ込む大手術が終わりました。手術終了後、約1時間くらいで意識が戻りました。麻酔のせいか、眠ってしまっていたのです。
しかし、意識が戻ってみると、大変な状況になっていたのです。なんと、体全体が動かなくなってしまっていたのです。動かそうとすると、全身に痛みが走るのです。直立不動ならぬ、直寝不動です。目玉を右へ左へと動かすこと位しかできないのです。
「この手術は失敗だったのかしら?」
「こんなことだったら、右半身の痛みだけだった手術前の方がよかった」
「手術など受けなければよかった」
後悔の念がフツフツとわいてまいりました。
家族が医師に手術についてたずねてみると、手術は成功であった、ということでした。しかし、寝たままで、微動だにできないのです。
77才で自転車を乗りまわしたり、水泳に通っていたほど、活動的な私でした。その私がみじめなことに、微動だにできないのです。
「ああ、このまま寝たきりの老人としんでいくのかしら?」
「なんと、みじめな最期だろう」
頭の中はそんな思いにかられていました。
2日、3日、4日たっても全く動きません。5日、6日、とむなしく時は過ぎていきます。
ついに、手術後7日目も過ぎようとしていました。「私もこれで終わりかな」と言う思いが脳裏をよぎりました。しかし、また同時に「なにくそ、負けてなるものか」と言う思いも心のそこにはあったのです。
そしてその時です。
「そうだ、お題目をお唱えしよう。お困りのときはお題目をお唱えしなさいと、若上人が言っていた。なにか変化が起こるかもしれない」。というヒラメキが頭の中をよぎりました。口はほとんど動きませんので、心の中で唱えました。
「南無妙法蓮華経」
「南無妙法蓮華経」
「南無妙法蓮華経」・・・・・・・・
すると、どうでしょう。実相寺の若上人の後姿が私の脳裏にあらわれたのです。黒の衣に輪袈裟(わげさ)をつけた、棚行をしている時のような後姿が見えたのです。そして「あっ! 若上人の後姿だ!」と思った瞬間、まさにその時、今まで微動だにしなかった首が右へ左へと少し、ほんの少し動くようになったのです。
同時に、今まであれほど痛かった首筋の痛みが徐々に薄らいでいくではありませんか。
30分ほどたったでしょうか、今度は肩も少し動かせるようになりました。体全体をおおっていた痛みがほんの少し和らいだのです。この時の喜びはたとえようもないものでした。ただただ、お題目はありがたい、と言う思いでいっぱいでした。
実際に涙が出てきたほどありがたかったのです。
次の日になると、体の上体が動かせるようになり、3日目には寝返りが自分でできるようになるまで回復したのでした。そして、5日目には自分でトイレに行けるようになれたのです。それから、リハビリを始め、2月28日、めでたく退院することができたのです。
私は、お題目を契機として、動けるようになったのです。回復へと向かった数日は、今から考えても、本当に不思議な日々でした。こんな奇蹟的なことがまさか自分に起こるとは思いもしませんでした。
さすがに、自転車は家族に止められ、乗らないようにしておりますが、今ではプールへ毎週行っております。微動だにできなかった一週間を思い出すたびに、「ああ、自分は生きているんだな」という感謝の思いでいっぱいです。私もあと何年生きられるかわかりませんが、動くことができるようになった感謝の念を思い起こしつつ、毎日毎日、お題目を唱えつづけて行きたいと思います。
お題目は本当にありがたいものです。是非、皆さんも、お唱え下さい。私のような者にも、ご功徳があったのです。皆さんにも何らかのご功徳が起こることと思います。