実相寺の歴史と由来

   実相寺 山門および参道
当山は本覚山実相寺と号し、室町時代初期の南北朝期、貞治二年(1363年)、今をること約650年前に、日蓮宗祈祷根本 道場である大本山法華経寺第三世日祐上人を開山と仰ぎ、その高弟、経王院日通上人によって開かれました。
 
大本山をささえる四天王の一角をしめ、中本山として往時には末寺10ヶ寺を数えたとされております。また、日祐上人東北巡錫(布教)の際の初転法輪の道場という縁により、大本山法華経寺霊蹟寺院としての格式を誇りました。
   平成27年建立 大客殿
祈祷道場としても名高く江戸城大奥の侍女たちの髪で造立された『植髪鬼子母神(うえがみきしぼじん)』様を祈祷本尊としておまつりしております。
 
江戸幕府との関係は特に深いものがあります。三代将軍徳川家光公が鷹狩の折り、にわかに病を発せられ、当山にご来臨。当時、法力無双と称せられていた第十六世日逞上人のご祈祷により平癒されたと伝えられております。この功績により、ご朱印三十石を御下賜、『八町権現』の別称を許され、併せて将軍拝謁の際の着用袈裟として『金糸金襴七条袈裟』を賜りました。
 
その後、水害のため、北西に約一キロほど移動いたしました。かつては現在の川口市領家4丁目6番のあたりにありました。この水害の際に文物の一部が流されたことはまことに残念なことです。檀信徒の命日などが記されている「過去帳」もこの水害の際に水に漬り、現在でもその跡がのこっており、当時の苦労がしのばれます。
   文化12年建立 本堂
しかし、その後、第十八世、永世開基日昌上人が法統をつぎ、復興に努めました。檀信徒の育成・寺格の高揚・寺領の確保などの功は、「永世開基」の尊称にふさわしい名僧でありました。第二十五世日到上人の代に十軒四面の本堂及び御成門を復興し、続いて第二十六世日近上人の代には祖師堂の建立が円成し、旧観をとりもどすことが出来ました。『植髪鬼子母神』の実相寺として、その盛名は関東一円に響いたと伝えられております。
 
明治時代には第二十九世日芳上人が出られ、当時の一流人の信仰を集めました。その縁により伊藤博文公など多くの墨跡が残されております。
 「一天四海皆帰妙法」の苔庭
明治九年、不慮の災いにより、多くが烏有に帰しました。しかし、その後をついだ第三十一世日教上人は復興と布教に尽力されました。その結果、信徒数は万をもって数えるほどに教線が拡張され、県内・都内の多くの支院をもつに到りました。
 
江戸時代に始まり、その頃より特に盛んとなったお会式の際に行われる万灯行列は現在でも続いており、川口市のお祭り、風物詩として、多くの方々の参詣でにぎわっております。